ヒトコトLAトーキング #94 アジアン・パシフィックアメリカン ヘリテージ in LA

5月はアジアン・パシフィックアメリカンヘリテージの月でした。アジア系アメリカ人の存在をレスペクトしようというアメリカ政府の決めた公式のものですが、大きなお祝い事ではなくなんとなく年に一回くらいこんな事がありますよって感じです。アジア人という大きな枠なのでまとめるのが難しかったのでしょうが5月に決まったのはある日本人が関わっていました。

 

The month of May was chosen to commemorate the immigration of the first Japanese to the United States on May 7, 1843, and to mark the anniversary of the completion of the transcontinental railroad on May 10, 1869. 
1841年 1月、徳川幕府12代将軍家慶が就任する年、ある5人の漁師が海に出たのですが嵐で遭難します。なんとか伊豆諸島の鳥島に上陸するも何にも無かったのですが、鳥島と呼ばれるだけに沢山の鳥がいたんでしょう。彼らは洞穴に住みながらアホウドリを捕まえて凌いでいたそうです。この頃アメリカでは鯨の油がトレンド品だったため捕鯨ブーム。その中の一隻がカメでも捕まえて食べようとたまたま鳥島に辿り着いた時、アホウドリを食ってる日本人に出会いました。日本まで送って貰おうと考えたものの当時の日本は鎖国真っ最中、助けられたとはいえ外人と一緒に戻れば死刑になると考え助かる道は一緒にアメリカの方へ行くしかないと船で西へ向かいます。航海で最初についた場所がハワイのオアフ島。ここでは当時の別の人気商品砂糖を作るためのサトウキビ栽培が盛んだったので、ここなら言葉がわからずして生活できると思った5人は定住しようと決めました。ただ5人のうちの一人はやたらアメリカに興味を持ち、アメリカ本土まで一緒についてくると決めた奴がいました。それが当時14歳だった中濱万次郎、後のジョン万次郎です。 アメリカ本土上陸したジョン万次郎はやたらになんでも新しいもの好きだったせいか快く受け入れられ、1843年5月7日、アメリカ歴史上初めての日本人移民となりました。そして彼は今でいう最初の日本アンバダサーになりました。

てなわけでジョン万次郎の武勇伝はアメリカ政府に公認され、アジア人月間を発令するなら5月にしようと決めれらたわけです。1990年の事です。日本人の出来事がアジア人全体を総称するような感じで少し鼻が高い気がします。

ジョン万次郎の乗った捕鯨船はマサチューセッツ州に帰着したので、彼もこの州で生活していました。ロサンジェルスに来ることはなかったようですが1849年、西海岸ではゴールドラッシュという噂を聞きサンフランシスコへ行ったようです。1851年、ハワイを経由してついに沖縄に凱旋帰国となったわけです。

 

5月はアジアン・パシフィックアメリカンヘリテージ月間という題でしたがジョン万次郎の話しなってしまいました。アメリカでの日本の知名度は第二次世界大戦や高度経済成長よりずっと前からあったのかもしれません。